ad astra

気ままに雑文のようなものを載せています

240503 自分は自分という…

自分は自分という世界に生きている。 (何をどう知覚し、どのように行動するか、好むと好まざるとに関わらず、何もかも、一瞬一瞬が“自分流”だ。) そして、この「世界」の全容を、私は知ることはできない。 この「世界」から、私は逃れることはできない。 私…

240502 この現実は…

この現実は変えられない。一方で、自分が捉えているこの現実が、自分の人生の全てではないというのも分かる気はする。

240427 人は死んだら…

人は死んだら消える、無になる、というのは、あくまで思考である。 まだ死を体験していない者の思考である。 実際に本当に消えていたら、無になっていたら、 それを証明することなどできはしない。 生きている人間に証明する手段がない。

240427 「無」とは…

「無」とは概念である。実在ではない。 従って、「無限」も概念であり実在ではない。 (「無限」というものを「実際に」「見た」人はいるだろうか。億が一いたとして、それを何らかの手段で証明できる人などいるだろうか。おそらくいないだろう。) 可能性は…

240427 人は自分を…

人は自分を完全に知るということは、永遠にない。 いま知る自分が、自分のすべてではない。

240427 生きている…

生きている。 なぜ生きているのか分からないと嘆いているときでさえ、生きている。 存在することの不思議。 私たちは私たちのすべてを知ることはできそうにない。

240427 私たちは自分の考えや感情…

私たちは自分の考えや感情、素直な本音を、知らぬ間にジャッジしている。見事なまでに、呼吸するかのようにごく自然に、四六時中ジャッジしている。誰からよりも先に、自分で自分をジャッジしている。それはそれで全くかまわないのだろうと思われる。ただ、…

240426 星がある…

星がある。 私たちが知覚、認識している範囲は限定的である。 それが良いとか悪いとかではない。 私たちが思っている以上に、おそらく、限定的なのである。なにも悪いことでもない。ただ、そういう在り方をしている。 夢は見ているときは夢に思えない。

240426 人から言われた言葉…

人から言われた言葉、もっともらしい箴言、そんな類はどうでもいい。自分の言葉、自分の考え、自分のほんとうの思いだけが大切。内容の如何は問われない、それも例外なく。どれほど悲惨で、目を向けることさえできぬものだったとしても。それがまぎれもない…